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ジークンドー・インストラクターが団体を脱退することの意義についての考察
ジークンドー
ブルース・リーによって創始されたこの戦闘術は、その哲学と技術の深さで多くの武術家たちを魅了し続けています。
ジークンドーのエッセンスを理解し、その技術を習得することは、単に物理的な技術を超えた精神的な成長をもたらします。
そして、インストラクターとして認定を受けることは、多くの熱心な練習生にとっての一つの目標であることは間違いありません。
インストラクターとして認定を受けることは、ジークンドーの技術だけでなく、その深い哲学を理解し、伝える能力があることを示します。
しかし、ジークンドーの精神を本当に理解し、自分自身の武道として発展させていくには、団体や組織から一歩外に出ることが時には必要かもしれません。
私は、1999年にジークンドー団体に所属し、2007年にインストラクター認定を受けて2011年に脱退をしました。
ブルース・リー自身が言っていたように、「形式に囚われず、流れる水のようになれ」。
ジークンドーは形式や伝統に囚われず、常に変化し進化していくものです。
そのため、インストラクター認定を受けた後、団体を脱退し、より自由な形でジークンドーを探求し続けることは、この武道の真髄を追求する上で理にかなっているのです。
また、団体を離れることで得られる自由は、個々のインストラクターに新たな視点やアイデアをもたらします。
自身のスタイルを確立し、ジークンドーの哲学を現代に適応させることで、より多くの人々にこの武術の素晴らしさを伝えることができるのです。
さらに、独立したインストラクターとして、自分自身の教室や道場を開くことも可能になります。
これにより、より個人的なレベルで生徒との関係を築き、彼らの成長を直接サポートすることができます。
しかし、この道を選択することは容易な決断ではありません。
団体を離れることは、サポートのネットワークを失うことを意味し、また、資格や認定を維持するための独自の方法を見つける必要があります。
それでも、ジークンドーの精神に真に従い、自分自身の武道の道を切り開きたいという強い意志があるならば、この選択は新たな可能性を開く一歩となるでしょう。
最終的に、ジークンドーを学び、教えることは、個々の旅であり、団体や組織に所属しているか否かに関わらず、その探求は続きます。
インストラクターとして認定を受けた後、自分自身で道を切り開く勇気を持ち、ジークンドーの真髄を追求することは、ブルース・リーが私たちに残した最も重要な教訓の一つかもしれません。
art and philosophy
ジークンドーは、art and philosophy
武術(格闘芸術)と哲学です。
両方を学ぶとより良くジークンドーが理解できます。
良き理解は、あなたの成長の手助けになります。
左の4冊は、武術書で、右3冊が哲学書です。
【競走なきモデル】
武術を学ぶ人は、武道や格闘技を学ぶ人と一線を画していると私は常々思っています。
ブルース・リーは試合に価値を認めていませんでした。
彼は真剣勝負にこそ価値があると信じていました。
彼は後年、基本的に競争することは個人や精神の成長、さらにいえば武術に秀でるための正しいモデルではないという考えに至りました。
競争に身を投じると、自分の外で起こっていることに縛られ、そこに意識が集中する。
誰かに勝ったり賞を獲ったりするためだけに、あなたは努力しているのか、それとも、自分が成長するプロセスに興味があるのか。
競争は何かにつけて人を勝者と敗者に分類します。
協力関係や共創の関係を育むのでなく。競争は私たちを自分から切り離し、たがいに争わせます。
競争の中では、可能性をフルに発揮できません。
自分を隅々まで観察して独自の経験を最大限つくり上げるのでなく、勝つことだけに執心してしまうからです。
スポーツの試合でもよく相手を分析しているなどという話を聞きます。
私たちは勝つために何百時間もかけて相手の能力を分析しながら、自分自身については非常に限られた情報しか学んで いないのではないか?
この競争というモデルにおいて私たちが学ぶことは、「自分にない何を相手は持っているか」ではなく「本当の自分になるための何を自分は持っているか」なのだと思います。
武道や格闘技を学び、その価値を試合で勝つということに見出している方はそれでいいと思います。
しかし、試合等ない武術を学ぶ方は、何にそれを学ぶ価値を見出しているのでしょうか?
それは個人個人異なると思いますが、本質はいずれわかると思います。
その域に達するまでどうぞ修行なさることをねがいます。
【燃えよドラゴンが劇場公開】
ワーナーブラザーズ創立100周年と燃えよドラゴン制作50周年及びブルース・リー没後50年のコラボイベント。
【ブルース・リーのジークンドーに対する詠春拳の影響】
ヨーロッパの詠春拳サイトの記事。
個人的な見解で書かれたものです。
ジークンドーの後で詠春拳を学んだ者として賛同できるところとし兼ねる部分がありますが、よい記事なので紹介いたします。